発達障害って、外食が苦手?
YES
1人での外食はまだしも、人と一緒に(特に大勢の飲み会など)ごはんを食べることは苦手だと思います。
そもそも、空腹を感じる時間なんて人それぞれなので、同じタイミングで食事をすることは、誰かにとっては我慢であり、合理的でないと考えてしまいます。
何故、人とごはんを食べることが苦手なのでしょう。
① 並行作業の苦手さ ②聴覚の過敏、鈍感の問題 ③空気の読めなさ ④慣れない空間というストレス
主にこの4つが考えられます。
① 並行作業の苦手さ
人とごはんを食べるって、つまりは「食べながら話す」という並行作業ですよね。
しかも、食べるときにも話すときにも、おんなじ「口」を使います。
口を使う作業を同時にするなんて、難しすぎる!と思ってしまいます。物理的に不可能じゃん!って思います。
ただでさえなんとか空気を読みながら人と会話しているのに、そこに「食べる」という作業が挟まってくるのです。どこで食べて飲み込んで、どこで話せばいいのか…すべて手動でやっている発達障害にとって、この並行作業は難しいです。
② 聴覚過敏・鈍感の問題
・聴覚過敏、気にしすぎ問題
私は人がごはんを噛む音(クチャクチャ音)がとっても苦手です。ものすごく不快でイライラします。
それに伴って、「自分もクチャクチャしていないか?」が気になって仕方ないのです。
そのため、人とごはんを食べる時には、自分のクチャクチャ音に神経を使います。
食べ物の味に集中できません…。
・雑音キャッチしすぎ問題
発達障害の人全員という訳ではありませんが、「音を選択する力」が劣っていることが多いです。
普通の人は、友達の話し声と雑音が自動的にわかれて耳に届きます。そのため、多少ザワザワしている空間でも、友達の言っている言葉をキャッチして会話ができます。
しかし、発達障害の人の耳は特殊です。(正確に言うと、耳ではなく脳の言語処理部分に問題があると思いますが、便宜上「耳」と表現します。)
発達障害の人は、友達の話し声と雑音が自動的にわかれて耳に届きません。すべて同じ大きさ、時には雑音の方が大きな音で聞こえてきます。
そのため、居酒屋などのザワザワした空間では、友達がなんと言ったのか聞き取れないことが多くあります。
8人くらいの飲み会で対角線の人が発した言葉なんて、まぁ聞こえません。適当に相槌を打って、ニコニコするだけしかできません。疎外感がありますし、楽しくないです。
同時に入っていた音を、瞬時に(自動的に)分ける耳を持っていないのです。
聖徳太子の逆、って感じです。
③ 空気の読めなさ
例えば5人でご飯に行って、定食を頼む場合は問題ないです。勝手に頼んで勝手に食べればよいのです。
でも、大皿料理をわけるスタイルの時が問題です。何を頼むべきか、みんななにが食べたいのか分からないので、注文するのがストレスです。突拍子もないマニアックなものを頼んでしまったらどうしよう、ってなります。(最近はもう「自分は個性的な人」という前提で生きてるので、多少笑われても平気ですが、昔は本当に「変な人」と思われるのが苦痛で、過剰に空気を読もうとしておとなしくなっていた気がします。)
また、ご飯を食べるスピードの空気を読むのも難しいです。
自分がどれくらい食べれるかを予測するのも難しいです。
「ご飯を残すのは悪だ」主義の人とごはんに行くのは、とっても苦痛です。
④ なれない空間というストレス
単純に、発達障害の人の「なれない空間に対するストレスの大きさ」の問題があります。
慣れない空間では緊張し、交感神経優位になります。
交感神経優位になると、筋肉が緊張し、汗が出て、落ち着かなくなってきます。
そんな状態では、あった食欲も消えてしまいます。消化器は副交感神経優位のときにうまく働くものなので、交感神経優位状態では消化もうまくいきません。
「なれない空間に対するストレスの大きさ」の中で「食べる」という行為が加わってくるのです。人間の生理的な問題、本能の問題からして外食は難しいです。
このように、外食(特に人と食べること)には様々な問題がつきまといます。ストレスがたまります。
しかし、だからって、人と外食したくないわけではありません。(矛盾に見える)
普段食べない美味しいものを食べたい気持ち、誰かとおいしさを共有したい気持ち、人と関わりたい気持ち、みんなの輪に入りたい気持ちは私も持っています。しかし、難しい。結果、あきらめてしまう、というパターンが身にしみこんでいます。
そのため、なるべく個室や静かな空間を選ぶ、少人数でご飯にいく、はじめに自分の耳の悪さを伝えておく…などの工夫をしながらたま~に外食に行きます。