どうやって生きていくか

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どうやって生きていくか

 

分かりません。

お金を稼がなければご飯が食べれない、家に住めないことは分かっていますが、どうやって稼ぐのか、現実感がありません。

周りは就活の時期ですが、私は院に行くので(というか、院に行くことを言い訳にして)就活らしいことは何もしてません。もし院に落ちたら、ワーキングホリデーでニュージーランドかオーストラリアに行こう、それもできないなら実家にひきこもろう、それも出来なかったら死のう、と思っています。

いつも、進路の選択肢に「最悪死のう」が入っています。

大学受験浪人中もそうでした。「第一志望に落ちたら、死のう」と決めて生きていました。

結局、第一志望に受かったので死にませんでした。第一志望に受かっていなくても、死ななかったかな。

とりあえず、「最悪死のう」と考えると、楽に生きられる気がします。逃げ道です。多分、退路はたくさんあった方がいい。

 

どうやって生きていこう。

暇だから余計なことばかり考えるのかな。

精神疾患的な状態になったため精神疾患について勉強し始めたのは、中三の頃でした。

まずはじめに、境界性パーソナリティ障害に興味を持ちました。そこから様々なパーソナリティ障害、うつ病等に興味を持ちました。母に「受験勉強したいから図書館におくって」とお願いし、土日は図書館で精神疾患の本を読みあさっていました。

そんな中学生は大学生になり、精神疾患を主に扱う大学の研究室に配属されました。興味は発達障害に変わりました。多少の方向転換はありつつも、もう7年くらい精神疾患領域への興味を持ち続け、知識を収集してきました。そんな今だからこそ思うことがあります。

それは、知識を収集すればするほど、考えを深めれば深めるほど、その先には不幸しかない、ということです。

自分が精神疾患っぽいと思ったので、精神疾患に興味を持ち始めました。自分を救うために知識をつけ始めました。しかし、知識をつけ、自分がどんな状態なのか分かっても、辛さが改善されるわけではありませんでした。むしろ、知識がつけばつくほど、自分の駄目さ、どうにもならなさが分かり、私の人生は幸せになれないのだな、と気づくだけです。

物事を深く考えた先に、幸せなど存在しません。

物事を深く考える事が仕事になる人もいます。作家や哲学者なんかは、そうだと思います。

しかし、そのような人たちが幸せか?と言われれば、そうではないように思います。

幸せな哲学者なんているのか。最高に不幸だけどなんとか生きてる人、それが哲学者だと思います。

哲学をきわめた先に、幸せはないです。

 

だったら、思考停止人間になって、ちょっとくらいあほでもいいから、現実の中で忙しく生きた方がよっぽど幸せっぽいのではないか。少なくとも幸せな勘違いが可能なのではないか、と思います。

就職して忙しくして思考停止になることは、愚かなことだと考えていました。

しかし、愚かになることでしか人間は幸せにたどり着けないような気もします。

あぁ、矛盾だらけで分からなくなる。

自分の理想にたどり着こうとすればするほど、感覚としては不幸になっていく。

自分の嫌いな人間に近づけば近づくほど、生活が、精神が、楽になる。

どっちを選択するか。自分の考え方や価値観次第。

自分の価値観としては、生きづらくても思考中心にしていきたい、と思う。

でも、現実問題として、それはあまりにも辛すぎる。明らかに幸せではない。

思考停止することでしか、幸せにはなれないのか。幸せって分からな過ぎて頭が溶けそう…。

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ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した新卒の詩人。noteとブログで生計を立てるために奮闘中。秋田出身で千葉大学18卒。収入源はアフィリエイトやライティング、note、パトロンさんなど。夏の間は秋田の実家と北海道に1ヶ月半滞在します。9月から畑を耕して半農半Xを実践します。