支援する人・される人は紙一重

スポンサードリンク


福祉の現場に足を突っ込んだり、保健室事情について学んだりする中で、思うことがあります。

それは、支援する人とされる人は、紙一重である、ということです。

 

具体的に言うと、

福祉機関で働こうと思っている学生の中には、片親で育った人、貧困の中で育った人など「元福祉にお世話になった人」が多くいます。

養護教諭(保健室の先生)になろうと思っている学生の中には、不登校だった人、保健室登校をしていた人など「元保健室にお世話になった人」が多くいます。

 

自分がお世話になったのだから、興味を持ったり恩返しをしたいと思うのは、自然なことだと思います。

 

しかし、いくら大人になったといっても、根っこの部分には「福祉にお世話になった原因」「保健室にお世話になった原因」等が眠っているかもしれません。

弱さがあるからこそ、それらにお世話になったはずです。

 

何かのきっかけがあれば、またお世話になる側に戻ってしまうかもしれません。

 

自分の経験ゆえに特定の職業を目指す人って、情熱があって、信念があって、素敵だと思います。

でもその分、ハイリスクだなぁとも思います。

フタをしてきた記憶と向き合わなければならない場面が多くあると思います。

処理しきれていないと、フラッシュバックを起こすかもしれません。

 

また、当事者意識が強すぎると、興味や考え方の偏りが出てくるように思います。

いくら後から知識をつけても、経験というのは強烈なものです。根が深いです。

そのため、過去の自分の似た子どもを自分と重ねすぎた対応をしたり、過剰に決めつけて対応したり、してしまう気がします。

経験というのは強いです。当事者であるがゆえに、偏りが強くなってしまいます。

 

 

私は保健室にお世話になったから保健室の先生を目指し始めた人間ですが、最終的にどこに行きつくのでしょう。

保健室の先生になるのかな。

保健室に思い入れが強すぎるがゆえに、自分の中で「完璧な養護教諭像」を描きすぎている気はします。

発達障害のせいか知りませんが、0100思考なのです。

完璧な養護教諭像に近づきたい、それができないのなら養護教諭なんていう神聖な職業に、私は携わってはいけないのだ…そんな極端な考え方をしてしまいます。

 

 

この極端な考え方、抽象的な概念を考える時にはいいのですが、

現実社会を生きる上では邪魔になります。

現実社会は、一概に言えないことばかりです。

メリットもデメリットもあり、割り切らなければいけない場面も多くあります。

感情や経済的な事情も入ってきます。

だから、現実社会を生きる上では、この0100思考は、とっても邪魔です。

現実感を意識して生活しないと、生物として、命が終わってしまうので、気を付けなければなぁ、と思います。

スポンサードリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した新卒の詩人。noteとブログで生計を立てるために奮闘中。秋田出身で千葉大学18卒。収入源はアフィリエイトやライティング、note、パトロンさんなど。夏の間は秋田の実家と北海道に1ヶ月半滞在します。9月から畑を耕して半農半Xを実践します。