知識欲を突き詰めた先には何があるか?

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不登校且つ受験期でメンタルがヘラっていた中三の頃、よく図書館に行っていました。

目的は、精神疾患についての本を読むこと。

そのころ私は、自分を「うつ病」「境界性パーソナリティ障害」と信じ切っていて、精神疾患に(というか、自分の心に)強い関心を持っていました。

セーラー服を着た、ちょっと暗めなJCが、精神疾患の棚をうろちょろしているのです。

どんな風に見えていたのでしょう。

 

 

私の行きつけの図書館は、県立図書館でした。

県庁の近くにあるような、大きい図書館です。

とっても広く、書庫(?)にも古い本がたくさん眠っていました。(見せてもらいました。もの好き。)

 

 

そこで、JCの私は恐ろしいことに気づいてしまいました。

「ここにある本、一生かかっても読むことは不可能なんだな」

 

絶望でした。

なんでそんなに絶望の気持ちになったか謎ですが、そのころから異様な知識欲の芽があったのでしょう。

すべてを知ることはできない、知らないことの方が多いまま死んでゆくのだと思ったら、絶望感でいっぱいになったのを覚えています。

 

 

そこから私は、絶望の気持ちと折り合いをつけるために、考え方を変えました。

「すべて知ることができないのなら、せめて好きな分野を極めよう」

「世界や人間を支配している最上位だと思える学問を見つけて、それを極めればいい」

そんな風に考えるようになりました。

 

 

好きな分野:精神疾患、それに関する心理学

世界や人間を支配している最上位の学問:哲学、医学、心理学(模索中。。。)

 

 

そんな感じです。

そうはいっても、これらの特定の分野でさえ生きてるうちに極めるのは難しいです。

なるべく極めようと決めて、大学院等の高等教育に進む予定ですが。

なかなか「世界を知ること」、また「世界を知ったような気分になること」は難しいです。

勉強すればするほど、自分は世界を知らないということ、知らない知識の方が目についていきます。

 

そこで、さらに考えが変化しました。

「私の世界を、狭くすればいい」

世界というものを学問に当てはめて考えようとするから、極められないのだと思いました。

私の世界=世の中すべて だから、そりゃ極められないよな~、と思いました。

 

だから、私の世界=特定の誰か にしてしまえばいいと思いました。

1人の好きな人を、私の世界のすべてと決めつけて、その人の世界の中で生きていけば私は満足するのではないか、と思うようになりました。

 

将来の夢(職業)は、一応、好きな学問を究められる研究者や大学教授かな~と、なんとなく思っています。

その一方で、専業主婦になりたい気持ちもあります。

専業主婦になって、好きな人の生きる範囲の中で生かされていたい、という感覚です。

ものすごい依存状態です。

ひたすら好きな人のために家事をして、環境を整え、ご飯をつくり、話を聞く、そんな感じになりたいです。

 

 

 

また、もう一つ世界を狭くする方法があります。

それは、世界=私 にすることです。

具体的には、宗教の教祖みたいな感じです。

でもこれは、怪しいので、やめておきます…。

 

 

 

何が言いたいのか分からなくなってきました…

知識欲やシングルフォーカス、こだわりの強さを突き詰めた先にあった欲望は、

「専業主婦になりたい」でした。

なんか、皮肉だなと思います。

知識欲を突き詰めたら、なんだかそれなりにすごい研究者になって、社会に貢献できる感じがするのに。

広い範囲に、広い時代に貢献できる感じがするのに。

突き詰めると専業主婦になりたいなんて、なんだか真逆な感じがしてしまいます。

 

伝説のアイドルとされている人ほど表舞台に出てこないことに似てるのかな、と思います。

突き詰めると、その世界から消えたくなる運命なのでしょうか。

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ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した新卒の詩人。noteとブログで生計を立てるために奮闘中。秋田出身で千葉大学18卒。収入源はアフィリエイトやライティング、note、パトロンさんなど。夏の間は秋田の実家と北海道に1ヶ月半滞在します。9月から畑を耕して半農半Xを実践します。