私は、とある児童福祉の現場で子どもと関わるアルバイトをしています。
アルバイトと言っても、嘱託職員という、いい感じの名前がついています。
私はずっと、子どもと直接関わる仕事をする人は、
「人を支えたい気持ち」
「優しい気持ち」
「共感する気持ち」
を持っていなければいけない、と考えていました。
しかし私はというと、
人を支えたい気持ちはありません。
自分の興味ありきで、関わる子どもはあくまでも「実験台」に近い感覚です。
「虐待を受けた子どもはどんな行動をするのか」
「性的虐待を受けた子どもは、本当に【偽成熟】的な様子を見せるのか」等
自分の疑問を確認するためにアルバイトを始めました。
子どものためなんて、役に立ちたいなんて、これっぽっちも思っていません。
(さすがに目の前で体調が悪くなった子ども、泣きだした子ども等には優しく対応しますが)
私はなんて冷たい人間だろう。
こんな人間がTHE現場にいていいのか?
もっと優しくて温かい人たちが働くべきだよな。
子どもと関わるのには適していない。
と思っていました。
そのことをある職員さんに話したら、
「そんなことない!興味を持っている時点で、ここにいていいんです。役に立ってるんです」と言われました。
【興味を持っている時点でいる価値がある】【ここにいてもいい】というニュアンスの言葉に、私は驚きました。
そして、一気に救われるような気持ちになりました。
当たり前と言えば当たり前なのですが、
現場にいる人、管理職の人、研究者…
子どもと直接的に関わるかor間接的に関わるかの差はあれど、
どちらも子どもの役に立っているんですね。
当たり前ですが、改めて確認できました。
・現場にいる人(学校や施設の先生たち)→目の前の子どもを10cmずつ楽にする人。現在の子どもに向き合う人
・研究者(大学教授など)→世界の子ども全体を0.1mmずつ楽にする人。未来の子どもに向き合う人
そんな感覚かな、と思います。数字は適当ですが。
適材適所という言葉もあるし、当たり前のことなのですが、
【興味を持っている時点で価値がある】
のような表現は、とても新鮮に感じました。
アルバイト先の職員さん、本当に懐が深くて素敵な方です!