こんにちは。ブロガソン6記事目です。頭痛がレベルが8→レベル6に下がりました。
今回は、【農業】×【教育】というテーマで書きたいと思います。
私は現在、千葉大学教育学部養護教諭養成課程4年生です。
教育学部に所属しています。
教育に対する興味は変わらずありますが、教員採用試験は受けないという【教育学部のマイノリティ】なうです。
目次
「農業と教育は似てる」byおさむ先生
この言葉は、高校時代の恩師(おさむ先生)の言葉です。
おさむ先生は、数年前に高校を定年退職され、その後家庭で畑仕事に力を入れています。
この言葉を聞いたとき、「きっと先生は長年教育に携わってたから、あらゆるものが教育に関係して見えるんだろうな~」と思っていました。
しかし、(1週間だけですが)農業をやってみて、少しだけその気持ちが分かりました。
農業と教育の共通点
- 手をかければ手をかけるだけ、育ってくれる
- 今の努力が、数か月後に芽をだす
- 「あんなに手をかけたのに!」と裏切られることがある
手をかければ手をかけるだけ、育ってくれる
子供は愛情をかければかけるほど、健康に育っていきます。
野菜も、愛情をかけて育てると、きっと結果に結びつくものだと思います。
【被提供者の努力】と【対象の成長】の相関関係が、農業と教育の共通点じゃないかと思います。
そして、【対象の素直さ】も共通していると感じます。
今の努力が、数か月後に芽をだす
教育は、すぐに結果が出るものではありません。
20年近く前に始まったゆとり教育の結果を今検討されているように、
努力する時期と結果が出る時期にはタイムラグがあります。
野菜も同じです。
今日一日手入れした野菜を、明日食べられるわけではありません。
食べるのは数週間後、数か月後です。
未来の結果のために目の前のことに真摯に向き合う、という共通点です。
これは人生すべてに関わることかもしれませんが…!
「あんなに手をかけたのに!」と裏切られることがある
教育は、裏切られることもあります。
思い通りに成長してくれなかったり、途中でグレてしまったり、周囲の環境によって結果が出なかったり…。
野菜も同じだと思います。
いくら愛情をかけて育てても、台風等の風災害、動物による畑荒らし、天候、害虫等…
ある日突然、一瞬にして台無しになってしまうことがあります。
そんな未知数な部分、予測不能な部分も含めて農業と教育は似てるかもしれない、と感じました。
教育関係者が受け入れられない「間引き」作業
「一つだけ馴染まない作業があるんだよ~。間引き。どうもね~、間引きというのは慣れないね。」とおさむ先生はおっしゃっていました。
間引きとは
種まきから発芽した後、全ての種を育て続けていると、株同士の間隔が狭くなり、日当たりが悪くなったり、肥料が行き渡らなくなったりします。また、風通しが悪くなることで病気や害虫の被害にもあいやすくなります。
植物の種類によっては、育っていく中で強い株だけが生き残り、弱い株が徐々に枯れていくこともあります。ただ、家庭菜園やガーデニングで育てる植物でこの性質を持っているものはほとんどないので、間引きをしてあげる必要があります。(https://horti.jp/8496)
結果を出すためには、何かが犠牲になる。
確かに、教育現場では馴染まない考え方です。
だけど、それと同時に
人間には許されない行為が植物では許されている(必要とされている)というのも、なんだか不思議だな、と感じます。
どこまでが命で、どこからが命じゃなくて、どこまでなら殺生が許されるのか、大豊町に来てから疑問に感じる日々です。
育ちすぎて美味しくない野菜は捨てていいのか?
規格外の野菜は食べないのか?
気持ち悪い虫は殺してもいいのか?
人間の都合で仕方ないのは分かりつつも、
どうして人間の都合ばかり優先されるのだろう…?と感じます。