8才から大学ノートに書き続けているわたしの日記を今日はブログで書いた、ただそれだけのこと。

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心がそわそわするので、だーっと日記(と言っても頭の中のこと)を書こうと思う。

 

そわそわの原因

まず、最近そわそわする原因と思われるものがいくつかある。

状況:お金がない、進路がよく分からない
生理的なもの:生活リズムの乱れによる頭痛、イブ飲みすぎによる頭痛、生理前の不調
予定的なもの:いなフリが近い、マラソンが近い、早起きして撮影の予定、引っ越し
やってないもの・やり残し:下水道の支払い、給食費支払い、その他お金関係、引っ越し準備、追いコン準備など

 

行動しよう。

とにかく言えるのは、不安やモヤモヤを解消するのは、自分自身が行動するしかないってこと。行動することによって、上記のもやもやが直接消されるとは限らないけれど、少なくとも消すことに繋がったり、気分的に楽になったりするので、行動は大切だ。
「行動が大切」なんていうと、意識高い系のにおいがするけど、そうじゃない。どうしようもない不安を消すためには、行動することが一番楽だから。楽になるために行動するのだ。
疾患を持っていて行動が不可能または困難な人が楽にならないのは、当たり前だ。行動できないのだから。行動することは、精神的に楽になれるのだ。それができないから、鬱は悪循環。ぐるぐる悪循環してしまうのだ。多分。

お金がない。

これまた行動と似たようなことで、「お金を稼ごう」と言えばまるで意識高い人みたいだ。でも違う。お金を稼ぐこともまた、心を楽にするためだ。
私のように、お金がなかったり、お金をきたないものと思いがちだったり、お金の知識がない人に限って「世の中お金じゃない」みたいな言葉が好きだ。
だけど、本当にお金が無い状態に陥って気づいたことは、「お金が無いと心が荒む」。心が荒んでるくらいならまだいいかもしれない。もっと悪化して、ご飯を食べられなくなって、老いて、治療費のバカ高い病気にでもなったらもう死んでしまう。
お金にがめつい感じはあまり好きじゃないけれど、やっぱり心が楽になるためには、お金があったほうがいいや。

周りの「心に余裕のある人たち」って、だいたい実家が裕福だ。そういう実家が裕福な大学生たちも就職したら仕事のストレスで余裕がなくなるのかもしれないけれど、それでも心の中心にある「余裕」や「やさしさ」は変わらないだろう。ただ、多分なのだけど、お金持ちはお金持ちの生活に慣れていて、「お金が無い」ことを過剰に恐れている感じがする。何が言いたいのかというと、実家がお金持ちだけど社会人になってまで実家に頼りたくない人たちは、究極の安定志向であるということ。謎進路を歩まない。安定がいいのか悪いのかは人によるだろうけど、せっかく実家に余裕があって、メンタルも安定しているような人が、「安定」のためにメンタルを殺されるような組織に入ってしまうのはもったいないなぁということ。

反骨精神みたいなもので頑張る若者は、がけっぷち感がある。そういう若者は、本当にがけっぷちだったりする。実家が裕福な人ほど、がけっぷちになっても死なないので、ちょっとがけっぷち進路をためしてみたらいいのにな~、平和なのにな~と思う。
結局、金持ちは金持ちの生活しかできないから、安定志向なのだ。貧乏は貧乏の生活にも慣れてるから、挑戦できてしまうのだ。例外はたくさんあるだろうけど、私はそう思う。

 

下半身がいたい。

なんでしょう、これ。下半身が痛い。なにもしてないのに筋肉痛みたいになってる。と思ったら、昨日1時間ほど坂道を歩いたんだった。1時間歩くだけでこんなんになるの?弱すぎて悲しい。

 

夜勤が楽しい

ずっと嫌だった夜勤が、ここ最近楽しい。変化にまみれた、未来が謎な時期だからこそ、変わらずにいてくれる職員さんたちに癒されるのだ。普通に生活してたら、30代40代の人と何時間もおしゃべりすることなんてない。親世代と対等(?)に恋愛の話をすること、好きなAV女優の話をすることなんて、まずない。(もちろん進路や福祉に関するまじめな話もしてる。)
この職員さんたちとの関係を大事にしていきたい。

 

スーツにも変人にもなりきれない。

スーツの人が怖い。組織に洗脳されているようで、素を見せてくれないようで、丁寧な言葉と丁寧な笑顔で接してきて、髪もキマってて、怖い。ロボットみたい。そういう人を目の前にすると、怖いなぁと思うし、なんか見下されてる気分になる。とんだ勘違いだ。

だけど、いかにも「自分の趣味です」って感じの服装で、髪も自由な感じで、表情が定まらない人もそれはそれで怖い。
私は何を怖がって、何を求めてるのか?というと、結局は自分みたいなポジションの人が好きなだけなんだろう。自分が好きなだけだろう。多様性を認められない究極の人間だと思う、わたし。愚かな人間である。

 

ブログが書けない。

久々にブログを更新してる。今日で2日目。そこで感じることは、「noteなら無限に書けるのに、ブログは書けない」ということ。
多分自分の中で、noteは自分+仲の良い人だけの居場所(個人的なもの)、ブログはオフィシャルなものって思ってるからだと思う。かしこまってしまい、何を書いたらいいのか分からなくなる。批判されないか?とか思ってしまう。
だけどね、noteもブログも大差ないよね。大差ないっていうのは、見る人の人数や層に違いはそんなにないよね、ってこと。媒体が違うだけであって、見るのはせいぜいTwitterのフォロワーさんと少しの友達くらいだろう。
何をそんなにびびってるのだ。
ブログとnote、いい意味で混同しながら、過度に使い分けを意識せずに書いていこう。

 

本日は夜勤であります。17:00~翌朝9:00。楽しんでお仕事します。

偏見が多いかもしれませんが、大学ノートに書くつもりで書いたのでこんなものです。

普段はこんなことを、大学ノートかnoteに書いています。

noteはこちらから》七のnote

おやすみなさいませ。

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ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した新卒の詩人。noteとブログで生計を立てるために奮闘中。秋田出身で千葉大学18卒。収入源はアフィリエイトやライティング、note、パトロンさんなど。夏の間は秋田の実家と北海道に1ヶ月半滞在します。9月から畑を耕して半農半Xを実践します。