2017年8月に初めてフリーランスの人に出会ってから1年経ちました。
- 区切りがいいので過去の自分を振り返りたい
- フリーランスに興味を持ち始めている人の気持ちを考えるきっかけが欲しい
という気持ちでこの記事を書きます。
目次
2017年7月の気持ち:フリーランスって何ぞや
そのころの私は大学4年生。フリーランスというワードも覚えたてホヤホヤでした。
- 普通に週5日働くのは私には厳しそうだ
- とりあえず大学院に進学しようか
- だけど大学院に進学して、その後どうするの?
- アフィリエイトという仕組みが存在するのだな、面白そう
- ブログを作ってみたけど、どうやったらお金になるの?アクセス無いよ…
- ランサーズ?????…よく分からん。
- フリーランスの人ってどこに行けば会えるんだろう?
- 田舎フリーランス養成講座に参加したいけど13万…お金は無いな
- みんな就活しててすごい。私はどうするつもり?
こんな感じでした。
バイトや教育実習をする中で、「バイトや教育実習でさえ結構無理。働くとか無理すぎる」と感じました。
大学2年生の冬に精神科医や臨床心理士から「発達障害の可能性が高い」と言われ、社会に出る自信を失っていました。
Twitterで色々な人をフォローする内に
- フリーランスという働き方があるらしい
- ブログで稼げるらしい
- よく分からないけど、ブログ以外にもなんか色々あるらしい
- フリーランスを養成する講座があるらしい
ことを知りました。
夏休みが暇だったので、夏休み中に進路に繋がる行動をしようと考えていました。
8〜9月:最初に会ったフリーランスは高知の人たち
田舎フリーランス養成講座に参加したいけどお金が無かった私は、それっぽい合宿をしている団体を探し始めました。
そこで見つけたのが高知。
NPO法人ひとまき(去年はONEれいほくという名前でした)での半農半Xインターン。
参加費が無料だったことが決め手となり、申し込みました。
関連記事》【ONEれいほく】半農半Xインターン活動報告会のプレゼンを公開、解説!
フリーランスについて学ぶというよりは、農作業をしながら色々な働き方をする人と出会いまくる、そして内省しまくる感じでした。この時出会った人は
- ブログだけで生計を立てている人
- 過去に田舎フリーランス養成講座を受講した人
- 地域おこし協力隊の人
- 自然に根ざした暮らしを実践している人
- 仕事をやめて、フリーランスのライターをしている人
- よく分からないけど生きてる人
- 脱サラして農業をしている人
WEB系に限らず、いろんな経歴の人に出会いました。
よく分からないけど生きてる人にたくさん出会い、混乱しました。
「就職または大学院進学」しか選択肢が無かった(無いと思ってた)私にとって、衝撃的でした。
この1ヶ月の講座は稼ぐことを目標としていなかったので、お金については疎いままでしたが、それでも未来が切り開けた音がしました。
10月:大学に通いながら様々な人に会いに行く
10月になると大学が始まりましたが、授業は週1コマだけ。時間はたくさんありました。
この時期は何故だかブログやライティングをするわけでもなく、Twitterでいろんな人を見ていました。
そして、新潟や鳥取、東京で行われる各種イベントに参加していました。
実践というより、見学というイメージです。
高知よりもさらに多くの人に出会い、お話をし、生き方は無限にあると学びました。
地域おこし協力隊になろうかな、なんて思っていました。
11月:ランサーズに登録してみる
きっかけは、いなフリをやっている会社ponnufのオンライン講義(?)でした。
pontというオンラインサロンみたいなものがあり、それの企画で「クラウドワークス攻略講座」をやっていたのです。
無料だったので、食い入るように見ました。確か、11月のことです。
講師はこぶさん&こんちゃんさん。
今でこそ身近なお二人ですが、フリーランスとして稼いだことの無い私には「すごい人たちだ」「フリーランスの人たちだ、かっこいいな」「知らないことだらけで勉強になる」そんな感動、感動、感動の中で見ていました。
3件ほど受注し、作業。だけど、やり方がイマイチ分からない…。
「一文字一円以上のものしか応募しちゃダメ」と教えられましたが、私はそれを大きく下回るものも受注してしまい、消耗しました。
2週間ほどかけて25000文字をリライトしたり、発達障害の記事を書いたり。
「こんな時間かかるもので稼げるわけ無いだろ〜〜〜〜」と絶望し、辞めました。
ライティング、1度目の挫折です。
12月:いなフリに申し込む
募集記事が流れてきたので申し込みました。
この時お金は五百円しかありませんでした。バイト代が入るちょっと前だったからです。
12月:いなフリの開催地に下見がてら宿泊する
卒論を集中してやろうと思い、まるもにお邪魔しました。
ちょうど忘年会の時期で人が大量にいて、コミュ障の私は戸惑いました。
高知のように、新規の人に物珍しそうに話しかける感じではなく、仲間内で盛り上がってる感じでした。
輪に入れないながらも
「ああ、きっとここは内輪感が強いコミュニティなんだな。ってことは、馴染んでしまえば居心地が良さそう」などと考えていました。
それでも何人かと頑張ってお話をし、知り合いになりました。
まるもで知り合えた方がpolcaの支援をしてくださり、とっても嬉しかったです。
本当にありがたいことに10万円近く支援が集まり、なんとか参加できる目処が立ちました。
2月:いなフリ参加
1月は忙しく過ごし、あっという間に2月。待ちに待った、憧れのいなフリが始まります。
お金を得る感覚をちゃんと感じられたのが大きかった。
初めて「フリーランスとして稼ぐことも不可能では無い」と思えました。
また、「とりあえずここに住むことが進路だ」と思えたことも大きかった。
4月〜:金谷に移住
右往左往、上下しながら、収入も不安定ながら、なんとか4ヶ月半を生き延びてきました。
4月からの記事はこちら
私の流れまとめ
- 自分はまともには生きられないと絶望する
- フリーランスという生き方を知る
- 情報収集をする
- 実際にフリーランスの人に会ってみる
- それを繰り返す
- お金にする意識を強く持つ
- 定住する場所を見つける
- フリーランスに囲まれながら生活する
フリーランスという生き方を知ってからフリーランスに会うまでは約2ヶ月。
フリーランスという生き方を知ってから10万稼ぐまでは約8ヶ月。
フリーランスという生き方を知ってから安定し始めるまでは約1年。
このスピードが早いのか遅いのかは分かりませんが、何のドーピングも近道もなく、ナチュラルに道を歩いてきた丁度良いペースだと感じています。
数字で変化を見てみよう(2017年8月→2018年8月)
- フォロワー数:30人→2100人
- 収益:0円→月収20万円以上(ライティング、アフィリエイトなど)
- フリーランスの知り合い:0人→100人以上(数えたことはない、もっといると思う)
私は怠け者なので「自分、だめだなぁ」と思うことも多いのですが、この数字をみると「1年で結構頑張ったかもな」と思えます。
この1年の感想
全体的な感想なんていう抽象的なものはあんまり思い浮かびませんが、書いてみる。
なんとかなるけど、振り返れば結構大変だったかも
金銭面も、メンタル面も、仕事面も、なんとかなったから私はフリーランスとして生きています。
「フリーランス、何とかなるもんだよ」とは言いますが、「何とかなる」ってよりも「何とかした」って感じです。
戦略的にやったというよりは、気合いの面が大きいかもしれない。
何とかする覚悟が無ければ、結構大変かもしれない。
スキルがあれば別だけどね、何にもない場合特には「何とかしないと」のたれ死んでしまう。
分からないけれど。
上手くいってても、小さい失敗は多い
トータルで見たら「成功」「目標達成」と分類される時でも、小さい失敗はしまくってます。
1度の失敗でめげるなら、のたれ死んでしまう。
何度でもよみがえってやる、くらいの気合いが無いと、のたれ死んでしまう。
一度軌道に乗れば(コツを掴めば)死にはしない
私にとってのライティングがそれですが、「最悪、この方法があれば死なないな」という何かを見つけられると強いと思います。
それは貯金というまとまったお金のことではなく、「できた」という成功体験だと思う。
「最悪〜」「最低限〜」というセーフティネットの用意は、大事だなぁと感じています。
人に助けられまくっている
この言葉はあまり好きじゃ無いけれど、私は何のスキルも無いただの新卒の女です。そしてメンタルの波も激しめ。
そんな私を助けてくれる人が、シェアハウスにも、まるもにも、ネット上にも、たくさんいました。
- なぜ皆さんが助けてくれるのか
- なぜ必要な時に必要な人が現れてくれるのか
人智では説明できない何かがあると思うのですが、本当にありがたいものばかりです。
「助けて」って言えるプライドの低さや素直さは持っていた方がいいな、と感じています。
自分の変化を客観的に見ることって難しい
1年前に比べたら、確実に進化してると思います。だけど日々自分に絶望していることもあり、「よくできてる」と思うことが結構難しい。
多分、高知の人たちに会ったら自分の成長を一番感じられるのだと思う。
「1年前に想像していた生活ができているか?」と聞かれたら、
「想像以上の生活ができている」と答える。
それは色んな人たちに助けてもらったおかげだけど、それでも色んな人たちに会いに行ったのは自分自身だ。
だから、自分はすごい。
結局何がしたいのか分からなくなる時もあるし
気分の波で死にかける時もあるけれど
生きられるだけの収入を得られて、
それが継続される見込みができて、
自分の人生を作っていく感覚を掴み始めた。
これからも何とかなるよ。
何故なら、私が何とかするからね。
自分の能力を信じることなら誰にも負けないよ。
関連記事》スキルなし・コネなしで独立した24歳女子が、1年間生き延びた話