詩人になりたい、詩人になりたいと言ってきた私だけど
本当に詩人になりたいのか?
確かめる術がない。
何がしたいのか?
本当は何がしたいのか?
分からない。
たぶん、やりたいことなんて無いのだと思う。
あるとしたらそれは幻想で、
それをやりたいってことにしておけば楽だから、そうしてるだけ。
やりたいことなんて無くたって、
苦痛が少なければ生きていける。
最低限のお金、そして不自由しないだけの健康があれば
案外平気で生きていける。
そのことに気づいたら
「なーんだ、こんなものか」って生活が楽になったし
幸せに似た生活も寄ってきた。
幸せでも不幸でもない生活に意味はあるのか。
なんとなく死んじゃいけない雰囲気が蔓延しているから死なないのだけど
生きる意味だとか
幸せだとか
そんなものは初めから存在しないので
つまり、生きる意味は特にない。
誰かに否定されても、考えは変わらない。
生きる意味は、基本的には無い。
なぜかDNAを受け継がなきゃいけない、目的のないリレーに参加することになっているから
生殖があって、生まれさせられた。
その後のことは、保証されないらしい。
昔は「やれやれ」って食料を入手すればとりあえず生きていけたのに
今は「社会的に価値のあるもの」と呼ばれるヘンテコリンなガラクタを生成しなければ
命を繋げない仕組みになっている。
命の責任は誰にあるのだろう。
親が勝手に産んだから、親に責任があると仮定しよう。
すると
私の命の責任は親になすりつけることができるけど
親の命の責任は祖父母の責任になり
それが無限に続くと
「なんかもう、人のせいにするの、よくない?」と面倒になってくる。
面倒だから、自己責任でいいよ。
私の命は私の責任です、仕方ないから引き取ります。
自分の命を他人のせいにしている時は
生きる覚悟も決まらないから、死にたくなってた。
自分の命の責任を放棄していたから
死にたくなっていた。
だけど今は
仕方ない、自分で責任を取るしかないなって思うから
生きる覚悟か決まった。
自分でなんとかするしかないのだ。
なんとかするしかないのだ。
たまに面倒になるけれど
騙し騙し、やってくしかないのだ。
以下、今夜の心の荒具合を如実に表現したツイートたち。
あえて、消さないよ。こういう人だから。大人としてどうなんだろうね、でも大人としてって言葉で色々な感情を封印するのは、人間らしくないので私は好まないよ。私は私の考えが大好きだから。
世界は小さいまたは薄い方が幸せだ。小さくて濃いのが一番最悪。小さくて濃い世界にはいつまでもいられない。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
何もないっていいながらせっくすしてるの気持ち悪い。せっくすしてるならしてるっていえばいいのに。だからせっくすが「ダメなもの」みたいになるじゃん
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
人間は動物なので、どんなに狭いコミュニティでレベルの低い異性にまみれても、そこからマシな人を選んでせっくすする
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
せっくすは根深いね。生殖以外のせっくすを封印しようか。なぜ快楽と生殖が同じ行為なんだ。別にせっくすと快楽を組み合わせなくてもいいのに。空腹を満たす幸福と生殖を結びつける、とかでもよかったじゃんって思う。よりによりやがったな、動物の仕組み。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
死にたいとは思わなくなったけど、命を自力で続けるのがめんどくさって思うことはある。命を放置したいのに、放置すると死んてしまう、それはダメとされている。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
幸せっぽいこと呟いてたら幸せっぽい人が集まってきて幸せになれるもんかと思ったけど、やはり不幸界隈からの支持とエネルギーが大きいように感じてしまう。心が荒んでるせいか。不幸のエネルギーは強い。わたしの幸せはまだ弱い、負けそうになる
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
わたしはDV女なのだ。なぜだろう?自分がされたことを別の誰かにすることで傷を癒してるつもりになってるのだろう、心の奥の奥の奥が。そんなことしても癒えないよ、って、心の表面は知っている。だけど、奥が強い。自力では取り出せない。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
暗闇の中で書いてる負の気持ちたちが、おそらく同じく暗闇の中Twitterを眺めている誰かに届いているね。それは、お互い、幸せなことではないね。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
不幸から生まれる文章でご飯を食べていくのはあまりにもメンタル削れて辛すぎるから、ライティングをやるんだよ。ライティングは白米みたいなものだね。ライスワークだしね。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
無理してると、幸せによく似た感覚が得られる。幸せに向かってるんだか、無理して偽物の幸せを食べまくってるんだか、分からなくなるね。我慢と頑張りが近いことと似てる。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
手放しの幸せなど存在しない。せいぜい何かと比較したときに「マシだな」と思えることで幸せを確認するのがやっとだ。不幸はくっきりしてて分かりやすいからいいよね。幸せは、単体では存在してくれない代物だよ。幻だね。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日
騙し騙し生きていくしかないのだ。全ては諦めからはじまる。ある程度賢い人間の宿命だ。ライティングとかやって、講師とかやって、人の役に立ってる雰囲気にひたって、騙し騙し世界を漂うしかない。愚かな幸せ者よりは、賢い不幸の方がマシだね。と思わなきゃやってられない。
— 田舎暮らしの詩人🌙ななさま (@777nanadayo777) 2018年8月11日