「人間関係」をやる気が無い。

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「都会と田舎のどっちが好き?」と聞かれたら、迷わず「田舎」と答える。だけど、人間関係においては圧倒的に都会が好きだ。都会は通行人Aになれるから好き。

田舎だと、「どこそこの誰」「何をやってる人」「どこ高校出身」「親が何をやってる人」など色々な肩書きで近所の人から認識される。認識されない場合、「よくわからないよそ者がいる」と見られる。

また、田舎の人間は認識してくれると基本的に優しい。giveの精神が強い。野菜とか、道具とか、都会だったらお金を出して買うような小さなものを善意で無料で分けてくれる。

それはとても有難いことだ。だけど、何か返さなきゃいけない気がして疲れてくる。わたしは人に何かを与える時、見返りは求めない人間。「あげたいからあげる。お返しはいらないよ。」って思う。

恋愛もそう。恋愛も人間関係の一部だもんね。「わたしはわたしの勝手であなたを好きになりました。見返りは求めません。」「あなたは勝手にわたしを好きになった。だけどそれは、わたしには関係のないこと。わざわざ時間は捻出したくないです。」

「期待しないでね」って思う。

わたしには、助け合いの精神・お互い様の精神があまりない。「やりたいからやった人」と「やりたいと思われたから施しを受けた人」がいるだけで、相互関係は無くても良いと思ってる。「ありがとう」の強制も好きじゃない。わたしにとって、ありがた迷惑は「迷惑」に分類されるのがその証拠だ。

田舎の何かをくれる人間もわたしのように考えているとは限らない。「助け合い」「協力」「困った時はお互い様」みたいに考えている人の方が多いと思う。だから面倒臭いのだ。

人間関係は相互作用でお互い様と思われがちだけど(それはある意味まともで正しいのだけど)、わたしの中での社会は「孤立した人間が好き勝手に生きてるだけの世界」。期待や見返りを求めないで欲しい。

そう考えると、わたしが住むべきなのは「通行人Aになりやすい都会」または「まじで誰も住んでいないレベルの田舎」。一言でいうと、ご近所付き合いが存在しない場所。「人がいすぎてご近所付き合いが存在しない」でも良いし、「人がいなさすぎてご近所付き合いが存在しない」でも良い。

「だったら手っ取り早く都会に住めばいい」と思われそうだ。だけど、わたしは自然が好き。街中のうるささや色の感じ、空気の汚さに耐えられない。地方都市でも難しい、具合が悪くなる。

ちなみにわたしの言う自然は、手付かずの自然のこと。庭とか、街路樹とか、公園とかは「自然」じゃない。「近くに公園があるので都会だけど自然が豊かですよ」なんて宣伝する人がいるけれど、それらは人工的に作り上げた物なので「自然」と呼べるわけがない。(わたしの中での話。公園を「自然」と宣伝する不動産屋を否定しているわけではない。不動産の世界ではそういうルールなのだろう。)

さて、最終的にどの辺にどんなスタイルで住もうか。都会で人に紛れるか、近所に誰もいないど田舎に住むか、人に気付かれたら引っ越すような旅人スタイルで移動し続けるか、外国で「よく分からないけどアジア人がいるな」程度に思われて過ごすか。

人間関係に対する意識の低さ、やる気のなさ、若くして疲弊しきった感じが凄まじい。

人間関係をやっていくつもりがあまり無いことは、周りの人間にどれくらい伝わってるだろうか。人間関係をやっていくつもりがあまり無いことについて、今まで苦労したことは恐らく無い。(こちら側が苦労してないだけで、周りに迷惑をかけることはあったのかもしれない。でも、そんなに無い気もする。)

人間関係って、作ろうとしたり、躍起になったり、感謝したり、やたらめったら謝ったり、そんなに労力をつぎ込むべきなのだろうか?疑問に思う。

わたしはストレングスファインダーでも「人間関係構築力」が低めで、「戦略的思考」が高めだ。だから人間関係を軽視してるのかもしれない。だけど、世の中のもっと大事なことに労力を割いていれば、人間関係なんて気にしなくても、勝手に物事が進んでいくと思ってしまう。

人間関係なんていう、実体の無いものに労力を割くことは、なんて不毛で、掴めない雲を掴もうとしてることなのだろうと思ってしまう。それ自体に本質的な意味や実体が無いのに、見えない「それ(人間関係)」に心を使いすぎなのでは、と思ってしまう。

(人間関係を大事にしている人をディスってるわけでは無い。それが大切なら、大切にしていけばいい。わたしとあなたの考えは違う。こちらは意見を押し付けないので、そちらも意見を押し付けないでね。)

これからも恐らく、省エネな人間関係を生きていく。人間関係という概念から逃れていたい。あなた個人を嫌っているわけじゃない。友達や知り合いも含めて「人間」と表現するように、わたしは人間を人間というくくりで見ている。名前のついた人間などあまり存在しない。今日もたくさんの人間が道を歩いているね。

 




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ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した思想家。収入源はライティングとブログ。秋田出身で千葉大学18卒。ヨーロッパで物書きしたい。児童福祉に貢献したい。記事寄稿/被写体します。