亡くなっても人の心に生き続ける人と、生きているけど一人ぼっちの人

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「人に忘れられた時、その人は本当の意味で死ぬ」とはよく言ったものだ。人の記憶の中にいるうちは、その人は存在している。

そもそも「生きているけどもう2度と会うことの無い人」と「死んでしまった人」の違いってあるのだろうか。相手が生きてるのかどうかも分からない場合、こちらが「生きている」と信じることでしか「生きている」ことにできない。実際の生死は分かりようが無い。会うこともない。

「人に忘れられた時、その人は本当の意味で死ぬ」のだとしたら逆に、「人の記憶に無い人間は、生きてても死んでる扱いになるのか」。

人間にとって、生物学的な生死よりも、「他人に認識(認知)されているか」「他人の記憶にあるか」が大切なのだろうか。

ありふれた表現だけど、人間は「人」「間」と書くね。人が生きるには、人と人の間に存在することが必須なのだろうね。

「人は一人では生きられない」という言葉は、「周りの人に感謝しよう」の意味で使われがち。だけど、そういう意味じゃなくて、「人は一人でいる限り、生きていることにすらされない」って意味なのかもしれない。一人で生きると、他人に認知されないので、人間としては生きていないのかもしれない。たとえ生命が繋がっていたとしても。

一人ぼっちになることは、軽く死ぬことだ。だから辛くなった時、「一人になりたい」と思う。あれは軽い自殺なのかもしれない。

一人では人間にさえなれない。人に認知されてる限りは生きていられる。私はこの先もずっと生きたいかは分からない。だけど人に認知されている限りは、私の意志に関わらず生存している。

私を人間にしてくれている人たち、ありがとう。自分の意志とは無関係に、私は明日も生きている。心臓は今日、止まるかもしれない。それでも明日も生きている。いろんな人が私のことを、記憶している限り。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した思想家。収入源はライティングとブログ。秋田出身で千葉大学18卒。ヨーロッパで物書きしたい。児童福祉に貢献したい。記事寄稿/被写体します。