私は今、どうして面白くないのか

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私は今、面白くない。

去年が面白かったかと言えば、別に面白く無かったかもしれないけれど

少なくとも今よりは見ていて面白かっただろう。

つまらなくなった要因は、一言で言うと「安定」。安定は停滞でもあるので、安定によってつまらなくなるのは当たり前だ。

具体的に何が安定したかと言うと、

・収入(支出とのバランス、仕事、仕事の内訳、継続性の期待度など含む):ライティングで生計を立てられるようになった

・恋愛(家庭含む):あからさまに穏やかな優しい男の子と12月に結婚する、実家の状態が安定した

・収入と恋愛の安定によるメンタルの安定

そもそも私の前提意見はこうだ。

・仕事と家庭のどちらも安定することが、幸せの条件

・片方欠けてても生きられるけど、両方欠けてるとメンタルが余裕で死ぬ

・不幸な人は勝手にストーリー性が生まれるので見ていて面白いけど、長期間の不幸に耐えられる人はそんなに多くない

・幸せな人はみんな似通ってるので面白くない

去年は大学生だった。

収入は少しのアルバイト代だけなので、基本的にカツカツ。

死ぬほどではないけれど、カツカツ。

恋愛はゆらゆら。

・彼女のいる人Aとの継続的な関係

・彼女のいる人Bとのちょっとした関係

・ガチメンヘラの人との継続的な関係

などがあった。

仕事は不安定どころか、無い。就職しないことは決めてたけど、その後どうするかは決めてなかった。2月くらいまで迷ってた。

恋愛はもう、心が引っ搔き回される。最悪。穏やかさなど無い。常に辛さを感じていた。

そんな時に書く文章は「念」というか「想い」というか、強めの熱量が込められているので面白かった気がする。

下手くそなのだけど、想いが強すぎるので、文章というよりは想いの可視化。

最近書く文章はね、面白く無いんだよ。

幸せで満たされていると、不満がないからね。

「幸せです。」しか書けないんだよ、つまんない。

そもそも好きな人とずっと一緒にいるので、何か起こったとしても、好きな人に伝えて終わる。

昔だったら何らかの不満を覚えたら、心の中に溜め込んで、腐ってから重たい文章として一気に排出していた。

でも、今は隣に好きな人がいる。

ちょっとでも嫌なことがあると「これが嫌だった~」と伝えて、消化してくれる。

文章にする必要性がないのだ。

そもそも10年間も恋愛でグダグダしていたので、10年の悩みが消えたと思ったら、心が楽になるのは当たり前だ。

私は中2の頃から、恋愛のために生きてきたと言っても過言ではない。(勉強も頑張ったりした。)

幸せな私はつまらない。

何かを生み出す人は不幸な方が圧倒的に面白い。

本人は辛くても、面白さで言えば圧倒的に「不幸」が勝つ。悲しいことに。

たなむーのブログ記事を思い出すね、この話をすると。

幸せな私はつまらない。それでも幸せを手放す気にはならない。

つまんない私、こんにちは。

つまんなくて幸せな私の体は、何を生み出せるだろう。

不満のない心で、何が生み出せるだろう。

生み出す必要があるのだろうか。

生産者とは、皆不幸なのだろうか。

消費者は、幸せなのだろうか。

生み出す側と享受する側、どちら側につくかは、結果論なのだろうか。

それとも目標を決めて、目指すのだろうか。

私は奇跡的に手に入れた幸せを無理やり離そうと思わない。

そもそも離そうと思っても、引き寄せられるものだろう。

大切にするまでもなく隣にあり続けてしまうものを眺めるしか、私にはできない。

諦めよう、いろいろなものを。

受け入れて諦めることを覚えたら、楽になれる。

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ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した思想家。収入源はライティングとブログ。秋田出身で千葉大学18卒。ヨーロッパで物書きしたい。児童福祉に貢献したい。記事寄稿/被写体します。