思うことが主に2つある。
①Twitterはコミュニケーションツール
Twitterは独り言感が強いものだと、ここ最近は思っていた。誰かを想うわけでも、誰かに届けたいわけでも無い、「どうでもいい独り言」。そればかり垂れ流していた。
去年は違ったと想う。
大学卒業後の進路を探したり、面白そうな人と会ったり、住みたいと想う地域を探したり…
誰かと繋がることが前提だったし、行動を起こすこと前提だった。
Twitterがコミュニケーションツールだった。
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最近は、「独り言です」って言葉に逃げて、人とのやりとりをおろそかにしていたと思う。
リプライが来ても、「いいね」をして終わったり。
批判コメントが来ても、無視したり。
前は、リプライに対してちゃんとコメントしてたと思う。単純にフォロワーさんが少なくて、リプライも少なかったので、対応が追いついていた…ってこともあるけれど。
批判コメントに対しても、コメントしていたと思う。
批判は2通りある。
正論を言ってくるパターンと、勘違いして怒ってるパターン。
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正論を言ってくるパターンの批判に対しては、私は「私もそう思う」と感じる。
ただ、たった140文字の中で、あらゆる人に配慮して発言するのは難しい。
学校の1クラス35人に配慮するのも難しいのに、
Twitterの海で全員に配慮するのは不可能だ。
だって、フォロワーだけで2000人いる。
誰かが拡散すれば、一気に数万人に届く。
全員の状況やバックグラウンド、考えに配慮するのは不可能だ。
それでも、その人その人の基準で物事を考えると、私の意見が「間違ってるように見える」のはまぎれもない事実なのだ。
私は私にとって正しい意見を述べても、誰かにとっては間違った意見に見えるのだ。
それは仕方ないこと。
だから正論で批判されると、「あなたにとってはその意見が正解ですよね、それで良いと思います」って思う。
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勘違いして怒ってるパターンは、私の一言から想像を膨らませたり、自分の経験を過度に塗りつけて感情的になったり。
そういう場合は、勘違いしてる方が悪い気もするけれど、気分を害したのであればそれは可哀想なので「気分害したならごめん」って言いたい。気分的に。
そして、「あなたは勘違いしてるだけだよ」と丁寧に伝えて、気分を直せれば良いなと思う。
でも、数が増えるとキリが無くて、疲れて、そんなことにばっかり時間を使えなくて、無視することがある。
仕方ないけど、仕方なくないなぁと思う。よく分からないけど。
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とりあえず、リプライがきたら、もっと丁寧に会話したいなぁと思う。
日本語がよく分からない場合は別だけど。
時間とか気分の問題で、批判やアンチ的意見に対して割く時間は少なくなるだろうけど。
でも、批判が少なかったらいいなって思う。(身近な人からの批判的アドバイスはとてもありがたい)
②昔からずっと見てくれる人に溢れる感謝の想い
私は、今のアカウントを1年ちょっと続けている。
その中で呟く内容は結構変化したと思う。状況や関わる人が変わったので、仕方ないことだ。
それなのに、昔からずっとフォローし続けてくれる人がたくさんいる。
ありがたすぎることだ。
もちろんフォローを外したりミュートしたり、って人もたくさんいるのだろうけど
そういう人がたくさんいるからこそ
昔から見てくれる人には余計に感謝感謝だ。
新しい人がいるからこそ発展するかもしれないけれど、
やっぱり昔から見てくれる人は私の土台になるし、安心感にも繋がる。
人間関係が下手くそだからこそ、せめてTwitterっていう関わりやすい場所くらいでは、ちゃんと人と会話しようと思う…。
終わり
Twitter:田舎暮らしの詩人ななさま(@777nanadayo777)