拠点のある人が羨ましく見えた

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同い年で、田舎に拠点を持って生活している友達(はっしー:@zakukai69)の家に行ってきた。

若者のコミュニティがあるわけでもなく、昔ながらの集落に適応しながら生きている、はっしー。

純粋に、拠点を持っていることに「いいなぁ」と思った。

拠点を持つことは、

  • 腰を据えて何かに取り組むこと
  • 人を助けることが可能なこと
  • 人生に対して何らかの覚悟を決めること だと思う。たとえ永住ではなくとも。

一般的にはどうなのか知らないし、友達がどう考えてるかはまた別の話で、今の私の考えです。





腰を据えて何かに取り組むこと

私の今の「場所」的な紹介をすると、

  • 拠点は千葉の金谷のシェアハウス(まるもがあるところ。フリーランスの聖地と呼ぶ人もいる。その名称は、関係者による自称かもしれない。)
  • 月1くらいで秋田の実家に滞在
  • 8~9月は実家や友達の家、知り合いの家、単なる旅行などで移動しまくってる
  • 来年どこに住んでいるかは未定
  • 季節ごとに住みやすい場所に住みたい

という感じ。簡単に言うと、「シェアハウスの一室をキープしつつ、フラフラしている」。

普段の活動みたいなものは、パソコンで完結することばかり。

ライティングがメインで、note書いたり、ブログ書いたり、Twitterやったり。

特にお金を得ることに関しては、ネットがあれば十分だ。何も不自由はない。

だけど、私がやりたいのはお金を得ること、旅をすること、文章を書くことだけじゃない。

「家」というものが好きだったり、困ってる人の居場所を作りたい気持ちがずっとある。

それは恐らく、どっかのタイミングでどこかに定住しなければ成り立たない。

もちろん仕組みを作って人に任せる、自分は旅~ってことも可能だけど、

最初くらいは自分が汗水たらして作り上げる必要があるだろうし、私は管理的立場よりも「現場」が好きなので、やはり定住は必須。

やりたいことをやるためには、当たり前だけど定住が必須だ。私の場合。

大学卒業後の半年間は、自分一人生きていくお金を稼ぐのもままならなくて、「自己実現」どころか「生理的欲求」も危うかったので、それどころじゃなかったけれど。

とりあえず自分一人生きていく見込みが立った今、次のステージを考える必要があるな、と痛感している。

 

人を助けることが可能なこと

友達は、(災害のことを言ってるわけではないと思うのだけど)自分の家を「避難所」と呼んでいた。生き方みたいなものに迷ってる人に対する「避難所」だと私は捉えている。(違ったらごめん。)

拠点を持ってるだけで、困ってる人に「おいで」と言えるのだ。

確かに家があれば生きられるし、数日の光熱費や食費を負担してあげることも可能だろう。

田舎で食べ物を育てていれば、なおさらのこと。

困ってる人に「おいで」の一言が言えるのは、とても強くてかっこいいと思う。

今の私は、どこにも「おいで」と言えない。

金谷にはシェアハウスがあるけれど、どこに滞在するにしてもお金がかかる。

そもそもこのコミュニティは私が作ったものではないので、「おいで」は何だか違う気がする。

私の家もない。

私がたまにいるだけの場所かつお金のかかる場所に、困ってる人を招くのはちょっと難しい。

(コミュニティを作った池ちゃんは、自分の手柄だ!!とか言わないし、全然来て~って感じの優しい人だけど。)

拠点がないと、助けるにも助けられない。

お金に余裕ができたら、「困ってるならとりあえず15万あげる」みたいなこともできるのだろうけど、

なんか違う。

場所の提供、衣食住の現物支給には敵わない。安心感が違う。

「おいで」と言える拠点、私が作る場所、私がいる場所、衣食住を提供できる場所が欲しいと思った。

今の私には、誰も救えない。

 

人生に対して何らかの覚悟を決めること

私がこんなにフラフラしてるのは、人生の何かから逃げているからだ。

変化の時代、働き方の過渡期なので仕方ない部分はあるけれど、私には「覚悟」みたいなものがあまりにも足りない。

嫌になったらすぐ逃げたい。

違うと思ったら別のことをしたい。

やりたいことなんて定まらない。

考えも定まらない。

何に対しても責任を取りたくない。

そんな、無責任で子供っぽい人間だ。

特に人間関係や仕事においては「いつでも逃げるぞスタイル」が強い。

拠点を持ってる人は、そうもいかない。

地域の人と関わる必要があるし、その土地で仕事を作っていく必要もある。

覚悟や責任、「なんとかする」という強い意志があると思う。

人間は必ずしも定住する必要は無いし、時代的にフラフラが何となく許され始めている雰囲気もあるけれど、

未来みたいなものに逃げすぎている気もする。

やっぱり、今までの常識だとか、昔ながらの考えだとか、そういうものもバランス良く取り入れながら人間と関わりたい。

従来のやり方を重視している人からも「話の通じる人」と思われなければ、自分のやりたいことを実現させるのは難しいと思う。

本当に一人ぼっちで生きていくなら、話の通じない人でい続けてもいいんだろうけどね。

 

それで、今後どうしようと考えたのか?

「どこに定住しようか」という意識を持ちながら、人に会ったり、場所を訪れたりしたいと思った。

微妙なニュアンスなのだけど、

定住する場所を決める、ではなく

「どこに定住しようか」という意識を持つ だけ。

実際にどこかに定住するのは数年後かもしれないし、もっと先かもしれない。

それでも、定住する意識で外を眺めたいと思う。

私は2020年くらいにヨーロッパに行きたい。

謎の動機だけど、ドイツ語で詩を読んだり書いたりしてみたい。

夢見がち少女みたいな、よく分からない、努力も足りない夢なのだけど。

詩は、音の感じも大事。言葉の意味だけではなく、音の感じや響き。

現物を絵のように眺めたい。

ゲーテの詩やショーペンハウアーの文章を、そのまま食べてみたい。

それだけ。

だから、少なくとも2020年くらいまでは定住することは無いと思う。

それでも拠点を探す意識で。

自己満足だし、見た目的にはなんの変化も無いのだろうけどね。

実際に拠点を持つわけじゃ無いから。

それでも、私なりに大きな進歩。

 

Twitter:田舎暮らしの詩人ななさま(@777nanadayo777

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ABOUTこの記事をかいた人

田舎暮らしの詩人 ななさま

どうぶつの森みたいな暮らしを目指して千葉の金谷に移住した新卒の詩人。noteとブログで生計を立てるために奮闘中。秋田出身で千葉大学18卒。収入源はアフィリエイトやライティング、note、パトロンさんなど。夏の間は秋田の実家と北海道に1ヶ月半滞在します。9月から畑を耕して半農半Xを実践します。