SNSを実名で運用したり、実際のイベント集客をTwitterでしたり、SNSで仲良くなった人に会ったり。
インターネットと現実の垣根が無くなり、全て現実になっている。
それは果たして良いことなのだろうか。何もかもオフラインみたいな人間関係って、良いことなのだろうか。
インターネットの人間関係は、対面が苦手な人にもありがたい存在だ。コミュニケーションが下手くそだって、文字でワンクッションおけばスムーズになる。私みたいに人混みや人間の集合体が苦手な者にとって、自分のペースで会話できるインターネットはありがたい存在だ。
コミュ障のオアシス、インターネット。それが「現実」に侵食されている。
匿名で独り言を呟くだけだったTwitterが「人とコミュニケーションをとるツール」「仕事仲間を募集するツール」になっている。コミュ障のオアシスまでもがリア充に侵食されている。
人間って、会わなきゃ意味がないのかなぁ。魂の感じが合う人だったら、会わなくたって、文字だけでも「その雰囲気」を感じられる。むしろ会ってしまったら、声や見た目や様子のせいで「心の奥」が見えなくなる。
私はもう一度、インターネットの匿名性に期待したい。匿名性という表現が適切かは分からないけど。
私の名前も姿も知らない人が、私の考えることのおかげで、救われてほしい。名もなき私の考えに救われる人がいてほしい。
近くにいなくてもいいし、会わなくてもいいし、その人からお金をもらわなくてもいい。一期一会でいい。悲しいときに検索して、たどり着いて、少し安心して眠るような文章が書けたらと思う。
インターネットでは、それができる。あからさまなビジネスじゃなくていい。現実の知り合いにならなくてもいい。ネットでの一期一会でいいから、どうしようもない私の文章を読んで、「だよね」って思ってもらいたい。
承認欲求ともまた少し違う。声や姿を介さないコミュニケーションをしていたい。今日私が書いたくだらない文章で、3年後の誰かが救われたら嬉しい気がする。
でも、何も努力しないで、遠くから人間を見つめて、暖かい部屋で祈る程度の文章を書いて、「人のためになりたい」なんて、エゴが甚だしいな。
宇宙みたいなインターネットで誰かと繋がるには、SEOというビジネスじみたものが必要そうだ。宇宙を攻略するために、ちょっとくらい現実感のあるビジネスじみたものを勉強してみようか。気が乗らないけれど。