現代において生理的欲求や安全の欲求が満たされない人に対して何ができるのか

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※この記事は何も解決しない記事です。

わたしみたいな「悩んでるフリしてるけど、大きな困りごとは無いしメンタル強い人」は本当におめでたい。

こういう人間は、悩むこと(というか考えること)が好きなだけなのだ。悩まなきゃいけない議題が無くても勝手に悩むし、実際困ってるかと言われたら、別に困ってないような気もする。

ただただ、考えるのが好きだから、勝手に考えてるだけのような気がする。

一方で、本当に困っている人もいる。

例えば長年病気で苦しんでいたり、ぱっと見は普通だけど過去のトラウマに縛られていたり、きらびやかに見えるけどお金がまじで無かったり、家族の育児や介護から逃げられなかったり。

そういう人がたくさんいるはず。

自分はおめでたいので、心からの困りごとが無いくせにブーブー言ってる。

でも、心からの困りごとを抱えた人がたくさんいるはず。

自分はそういう人に何ができるのか?

何もできない。これはなかなかの絶望だ。

言葉で人を救えたらいい、なんて考えるけれど、そんなのおめでたい話だ。

本当に困ってる人は、「現実」に対して困ってる。現実を変える必要がある。現実で施しを受けたり、助言をもらう必要がある。

わたしがいくら自分の話をしたって、「そのままでいいんだよ〜」という言葉をインターネットに流したって、それじゃ困ってる人は救われない。

本当に困ってる人は、現実の部分でつまずいている。当たり前なのだけど。

わたしはある意味で平安貴族みたいなもので、最低限のものが当たり前のように揃っているからこそ暇になって、それゆえ「考えなくてもいいこと」を好き好んで考えている気がする。

哲学とか和歌とかって、基本的には暇人がやるものだ。現実世界に困りごとを抱えた人間は、現実の方で忙しいので、哲学とか和歌とかやってる場合じゃない。目先の困りごとに対処しなければいけない。

ああ、自分はなんておめでたいんだろうと思う。

安全安心な場所から世界を眺めて「これは大変だなぁ」とぼやいてるだけの人間。現実を生きてない。

自分が現実を生きてないことに不満はないし、これはこれでいいと思ってる。だけど現実の中を生きないと、人間を救うことはできないよなぁと思ってる。

神様みたいに「人間じゃないけど人を救える」っていう謎ポジションに行けるわけでもないし、現実の中であくせくしてるわけでもない。

自分が楽だからって、楽な場所に居続けて、大変な人を眺めてるだけでいいものだろうか。

本当におめでたい人だなぁ。現実の世界で生きなくていいのかな、本当にいいのかなぁ。

もっと、生理的欲求や安全の欲求が満たされない人の役に立つことを考えていくべきなのかな。




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ABOUTこの記事をかいた人

思想家 ななさま

【秋田生まれの思想家/詩人】2069年の世界からタイムスリップしてきました/綺麗だけど役立たないもの、本当のことを探してる/物書きしながら田舎暮らし中/社会の隙間で生きている/発達障害グレー/千葉大学卒/雲の上で暮らしたい/エスペラント語勉強中