生きる意味があるとするなら

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「生きる意味はとくにない」と考えている。無だった状態からなぜか一瞬物事が起こり、そしてまた無に戻っていく。基本的に生きることは辛いことではないけれど、意味はない。

それを前提としながら「もし生きる意味があるとしたら何だろう」。

生きる意味があるならそれは、内輪ネタと思い出話を増やすこと。美味しいものを食べること。木が揺れるのを「けっこう綺麗だな」と心の中で思うこと。

そういう「世界にとって別にプラスにはならない無駄っぽいことをすること」が、せいぜいの生きる意味だと思う。

世界にとってプラスになることは、プラスになるんだから、きっと別の誰かがやってくれる。

少し要素が足りなかったり時期が遅れたりはするかもしれないけれど、世界にとってプラスになることなら、他の誰かも「やりたい」と感じるはずなので、代わりがきく。

代わりがきくことをするのは、私が生きる意味には繋がらない。生きるため(お金や人間関係のため)に代わりがきくことをする時もあるだろうけど、それは「生きるため」であって、「生きる意味」にはならない。

世界にとって別にプラスにならないこと。

知り合いとご飯を食べて個人的に楽しんだり、内輪ネタを語って笑ったりすること。植物を見て癒されること。猫が可愛いって気持ち。

そういうのは、私がやって私が感じること。世界にとっては無駄だし意味がないけど、私が私だからこそ感じられること。

自分らしく、自分にしかできないことをしたいんだったら、世界全体のプラスにはならないような、個人的で無駄なものをするしかない。

人の役に立ちたい人や世界をプラスにしたい人は独自性なんていうものにこだわらず、自分がしたいことをすればいい。それが代替可能だとしても、人とかぶっても、「人の役に立ちたい」「世界をプラスにしたい」という想いのもとで活動したらいい。人の役に立つのだから、素晴らしいことだね。

だけど私みたいに「生きるならせめて自分にしかできないことを」と考える人間は、世界にプラスにならなさそうな、無駄っぽいものやくだらないものを大事にするしかない。

役に立つものは誰かがやってくれる。誰ともかぶりたくないなら、役に立たないようなものをするしかない。

とか言いながら、「役に立つことを考えずに、でも結果的に誰かの役に立ったらいいな」とか思ってしまうんだけど。

無駄っぽいもの、意味のないものは、思ってる以上に独自性があって大切なものかもしれない。知らないけど。

みんなで無駄なことをしたら世界が回らなくなってしまうけど、どうせみんなは無駄なことをしない。無駄なことを続けられる人ってなかなかいないから。どこかでお金や人の役に立ちたい気持ちがわいてくるから。無駄なこと、無意味なことを続けられるだけでも希少価値がある。

無駄かもな、お金にならないな、価値がないかもな、って感じたら、「だからそれがいいんじゃん」って前向きにとらえていきたい。

無駄なものを無駄なまま受けとる人でありたい。たとえ何の役にも立たないとしても。




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ABOUTこの記事をかいた人

思想家 ななさま

【秋田生まれの思想家/詩人】2069年の世界からタイムスリップしてきました/綺麗だけど役立たないもの、本当のことを探してる/物書きしながら田舎暮らし中/社会の隙間で生きている/発達障害グレー/千葉大学卒/雲の上で暮らしたい/エスペラント語勉強中