「自然」とは何ぞや

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「なるべく自然に生きたい」とは思っているが、自然の定義は難しい。

自然の定義は各々違うし、バランスの問題としか言いようがない。

一般的に「自然に生きる」と言えば、自給自足を思い浮かべるかもしれない。だけど自給自足が「自然」だとは思わない。

そもそも畑自体が人間的な代物で、自然ではない。食べるために人工的に植物を作ろうとすること=農耕。田んぼや畑は「食べる」を前提にしてる時点で自然とは言い難い。

本当に自然に生きたいのなら、自生植物の採取と川魚の捕獲が適切だ。自生植物は人間が食べるためではなく、勝手に生えてくる。人間の意思に関わらず、勝手に生えてくる。そんな植物のこと、それをたまたま食べることは「自然」だと思う。

狩猟は微妙なところだ。石のナイフや植物で作った罠で狩りができるなら自然だけど、銃による狩猟は自然とは思えない。やけに人工的だ。しかも免許がないと狩猟ができないので、「本当は自然だったのに人間が介入してしまった感」を感じる。

ここまでの考えをまとめると、

  • 畑=食べること前提にして植えてる時点で自然ではない
  • 自生植物、川魚の捕獲=勝手に生えてくる、生まれてくるので自然
  • 狩猟=自然の道具を使うなら自然だけど、銃は自然じゃない。免許が必要なところも自然っぽくない

自然についての基本的な考えはこんな感じ。

だけどここで「現代における自然」という時間軸を導入すると、色々な意味合いが変わってくる。

「本当の自然」を求めるなら、自生植物や川魚の捕獲をしながら裸で暮らすことになる。パソコンを使うなんてもってのほかだ。

だけど裸で暮らしてる人なんていないし、変だし、むしろ不自然。原始に戻りすぎると、現代においては不自然になってしまう。

「現代における自然」を考えると、パソコンは使ってた方が自然だし、肉は精肉を買った方が自然だし、服だって着た方が自然だ。

中国製の安い服を着るのか、綿100%の日本製の服を着るのかは差があるかもしれないけれど、とりあえず服は着た方が自然だ。

パソコンだって、使った方が自然だ。「電子機器は不自然だから使わない」と言って排除すると、現代人のコミュニティではかなり浮いてしまう。不自然に浮いてしまう。現代においてはパソコンを使った方が自然。

わたしはどんな状態を自然と感じるのか。

疲れない程度にパソコンを触って、一日数分はYouTubeを観て、肉はスーパーで買って、野菜はちょっとだけ自分で育てる。調子が悪い時は無理せず休んで、身体に悪くないもの(昔から食べられているもの)を食べる。金融商品は基本的にいらない。それがわたしにとっての自然だ。

「自然」って手放しでいいことのように思えるけど、そうでもない。人によってかなり違う。何をもって自然と名付けるか、のバランスは人によってかなり違う。

「自然に生きたい」は「良いね」って感じがするけど、「自然に生きたい」は「自分の常識の世界で生きたい」とも言い換えられる。

個人的なことなのに、あたかも世界共通の良いことみたいに偉そうな態度をして「自然に生きる〜」はなんか違うなと思った。

自然は、あくまでも自分の中の自然。定義はないし、個人的だし、都合が良くてわがままな考えが根本にある。

自然って何なんだろうか。

植物を植えて、野草を採取して、散歩して、パソコンいじってたらよく分からなくなった。




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ABOUTこの記事をかいた人

思想家 ななさま

【秋田生まれの思想家/詩人】2069年の世界からタイムスリップしてきました/綺麗だけど役立たないもの、本当のことを探してる/物書きしながら田舎暮らし中/社会の隙間で生きている/発達障害グレー/千葉大学卒/雲の上で暮らしたい/エスペラント語勉強中