幸福の反対は空しさ

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幸福を追求するなんて馬鹿らしいと思いつつも、頭の中くらいでは「幸福」の定義が欲しくて、幸福論関係の本を読み漁ってる。

アラン、ヒルティ、ラッセル、ショーペンハウアーなど。

それぞれ言ってることは違うけど、結局「幸福は空しさと対極にある」に行き着くのかな、と思う。

何かに熱中したり、友達と話したり、何かと忙しかったり、そういう「充実」が幸せっぽい。どうやら。

幸せ(幸福)の反対派、空しさ、退屈、充実してない、暇。

 

暇は暇で幸せなこともあるけれど、それは「忙しい日々」「やりがいのある日々」に挟まれた「暇」だからこそ、暇が幸せに感じる。

人生がずっと暇だったら、もう退屈で虚しくて、仕方ない。

フリーランスで自由な生活をして、お金も最低限は稼げていて、時間的・場所的自由が異常な私はかなり退屈だ。

セミリタイアした金持ちに似た心境というか。

やりたいことが特にない中で時間を持て余すのは、かなり退屈だ。

お金に困ってないから幸せかと思いきや、別にそんなこともない。(不幸ではないけれど、幸せでもない。)

お金に困ってなくて、でも死ぬほどお金を持ってるわけじゃなくて、使い道も無い状態は、幸せじゃない。

ただの無である。

ほしいものはだいたいかえるし、買えないものはほしいと思わないし。

特に生活において、困ってることも、やりたいこともない。

これは「無」である。

 

お金がなくて死にそうな時の方が生き生きしてたし。

余裕があると、その余裕さに甘えて、何もしなくなる。そして退屈になる。

 

全体的に、余裕があるのだ。

時間にもお金にも、気持ちにも。

余裕が出てきたら夢がすぐに現れると思ってたけど、そんなこともない。

人に出会おうとしないし、出かけもしないから、人生が進んでいかない。

まぁ、そんなに目まぐるしく常に人生が変わるなんて疲れちゃうから、

今は人生の休息期間なのかも。

 

学生時代は忙しい時もあったから、遅めの夏休みなんだろうか。分からんけど。

 

空しさを解消するために、色々していきたいね。

パソコン一つでいろんなことができるからね。幸せな身分だと思うよ。

いや、幸せは主観だから、自分が「幸せ」と思ってない時点で幸せとは呼べないか。

「恵まれてる身分」って言った方が適切かもしれない。

幸せは主観、恵まれてるは客観。

私は今恵まれた環境にいるけれど、別に幸せではない。

幸せは、個人個人の認知の問題だからね。

めちゃくちゃ病気で死にそうな人でも幸せかもしれないし、

お金持ちでモテて可愛くて毎日美味しいものを食べてる人は幸せじゃないかもしれない。

前者は恵まれてないけど幸せ。

後者は恵まれてるけど幸せじゃない。

そんなもんだね。

 

幸福論系の本を読んで「確かに〜」とか思ってたら、少しだけ行動的になってきた。

理論、哲学が好きなようだ。

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ABOUTこの記事をかいた人

思想家 ななさま

【秋田生まれの思想家/詩人】2069年の世界からタイムスリップしてきました/綺麗だけど役立たないもの、本当のことを探してる/物書きしながら田舎暮らし中/社会の隙間で生きている/発達障害グレー/千葉大学卒/雲の上で暮らしたい/エスペラント語勉強中