目次
最近の気持ちの感じ
ゆるやかに不安が蔓延していて、なんとなく不安な気持ち。
ちなみにわたしのいう「最近」っていうのは、今日1日の話であることが多い。
記憶がバカなので、その日のことしか覚えてない。
毎日が続いていく感じがしない。
細切れに途切れているだけの日々。
積み上がっている気がしない。
1日のほとんどの時間を「眠いな」「だるいな」「お腹すいたな」「仕事しなきゃ」「本読みたいけど読むのがめんどくさい」とか思いながら過ごしている。
くだらないことこの上なし。
フリーランスとして生活費を稼げているからまだしも、やってることは不登校時代や大学時代と全く同じだ。
14~15歳の頃からほとんど変わらないという、驚異のキープ具合。
全くもって誇れない。
年齢と経験(や中身)は関係ないとは言うものの、やっぱり「中身のないおばさん」になるのはちょっと怖い。
何もやらないくせに、学歴だけが中途半端に良い方なので、謎のプライドがあるんだと思う。
高学歴ニートだ。
高学歴というほど高学歴でもないし、ニートというほどニートらしくもないのだけど。
そんな感じで、「このまま毎日を過ごしてどうするの?」みたいな問答をしながら日々生きている。
みんなは、どんな感じなんだろう。
「みんな」なんていう幻想に答えを求める時点で、自分を放棄してるし、周りを画一化してる。
よくない。
沈んでる理由予想
ただ、ここ最近沈んでいるのは、仕方ない部分もある。
- 被災して、生活・メンタル・電波が不安定だった
- 生理前
- 引っ越しを控えていてバタバタしてる
- 出費がいつもに比べて多くて、無性に不安
- 仕事の進捗が悪い
- 仕事がなくなってしまう不安
- 秋(急な涼しさ)による気分の低下
こんなものか。
だいたい体調×突発的な不安要素×金(仕事含む)でナイーブになる。
それはみんな同じだよね。
基本的に個性などない。
人間に共通することを、わたしも体験していくだけ。
山梨県の都留に引っ越す
都留に引っ越すことにした。
もう少し後に引っ越す予定だったけど、被災して旦那の職場がしばらく復活できないようなので、早めに引っ越すことにした。
引っ越しは7回目くらいだけど、消去法ではなく「ここがいいな」と思って引っ越すのは初めてだ。けっこう嬉しい。
まるもに関連した施設があるので、「無数の候補地から選んだ」ってわけではないんだけど、選択肢が多すぎると何も決められなくなるのが人間なので、いくつかの候補地から都留を選べてよかったと思う。
都留がいいなと思った理由は
- teraco.の人たちが優しくて、穏やかで、わたしも人に優しくできるような気がしたから
- バイトしたくなったら好きなバイトができそうだから
- 町にいながら富士山のエネルギーを感じられるから(わたしは自然信仰に寄っている)
- 東京が近いから
- アウトドアができそうだから
- 移住関係でお世話になった職員さんたちがいい人たちで、安心感があったから
こんな感じ。
やっぱり「人がいい」っていうのと、自然が大きいのかなと思う。
「人がいい」っていうのは「都合がいい」ってわけじゃなく、「頑張れる自分でいられる気がするから」みたいな感じ。
環境が変わって、自分の行動範囲や可能性が広がったらいいな。
今の自分は、あまりにも閉じている。
持っている能力を台無しにしている感ある。
都留では、自分の心を開放して、ついでに誰かの役に立てたらいい。
仕事が積み重なっていく感じがしない
webの仕事に限界を感じている。
収入やスキルの限界ではなく、モチベーションの限界というべきか。
別に言うほど稼いでないので、偉そうなことは言えないんだけど。
わたしにとってwebの仕事って、「何かを成し遂げるため」じゃないんだよね。
ただ単に、就職したくなかったから、バイト感覚でやってるだけ。
大学生のコンビニバイトと何も変わりないんだよね。
好きでもないし、得意でもないし、そこに夢みたいなものも無いし。
そんな状態で仕事をしてても、モチベーションなんて続かないんだよね。
「モチベーションに頼るな」って言う人もいるけど、それは「目的があるけどやる気がないとき」の話。
「目的もないしやる気もない」場合、モチベーションに頼らず思考停止で仕事したところで、あまり積み上がっていかない。
目的もないのに思考停止で頑張ることは、目的なしで高速道路に乗ってるようなものだと思う。
意味がない。
時間だけが過ぎていく。
我に返って戻ろうと思った時には、かなり遠くまできてる。
無駄な事故に巻き込まれる可能性もある。
(まぁ目的なしで思考停止で仕事したらお金は貯まるだろうから、必ずしもダメではないのだけど。)
個人的には、目的がない状態でやたら頑張ることには、あまり意味がないと思ってる。
目的がないならゆっくり散歩すればいいし、ちょっとでも目的に近いものを見つけたらお金にならなくてもやってみるべきだし、
そんな感じ。
あと、月30万円とか40万円とか、別にいらないって分かった。
やりたくないと分かっていることで稼ぐよりだったら、稼ぎが微妙でもいいから好きっぽいことに時間を使うべきだと感じた。
お金があるに越したことはないけど、「好きっぽいことが見えたかも〜」って状態で、好きなことを放置するのは、あまりにも勿体無い。
明日死んだら最悪だ。
都留に引っ越したら、「積み上がっていきそうか」を意識して、新しいジャンルの仕事をしていきたい。
せめて「怒り」の感情があったら前に進めるのか
落ち着いていると、あんまり頑張れない。
反骨精神や「怒り」があったほうが頑張れる。
だったら「怒り」をチャージできるような環境に、定期的に身を置くべきなのか。
いや、穏やかな環境で暮らしてるのに、あえてストレス環境下にいくのはかなり変態だ。
自由がゆえに行き場を失った人間の末路感がある。
greenzの記事を読むと安心する
はい。
phaさんの記事を読んでも安心する
はい。
停電したらジャニーズへの興味が薄れた
停電とか避難とかに巻き込まれてるうちに、最近の楽しみである「ジャニーズ」への興味が薄れた。これは由々しき事。
日常がつまらなくても、ジャニーズの動画を見れば楽しかったのだから。
週1で更新されるジャニーズの動画が、メリハリのない自分の楽しみだったのに。
また時間が経ったら興味が戻ってくるかな。
停電とか被災とかで、自分や周囲の人が命の危機にさらされると、エンタメ的なものはどうでもよくなるんだろうか。
当たり前と言えば当たり前だけどね。
エンタメ的なものを楽しめてるのは、平和の証だよね。
被災度が低いのに無料で温泉に入らせてもらって罪悪感がある
被災地域に住んでいるものの、うちの家は被害が少ない。
でも台風15号が激甚災害に指定される(された?)ことにより、国からお金がくるので、町が色々なものを無料にしている。
だからわたしも温泉に行くと、「鋸南町在住の方は無料です〜どうぞ〜!」と優しく通される。
家がどれくらい被災したかは関係なく、町民は一律無料。
ここで「わたしはお金払います〜」っていうのは変だし、
別に混んでもない温泉に対して「被災度が低いから行かないようにしよう」と自粛するのもおかしい。
お風呂にお湯をはってるわけだから、わたしが自粛したところで節約できるわけでもないし、別の誰かがお風呂に入れなくなるわけでもない。
だから別に入ればいい。
あと、カップ焼きそばと水ももらった。
支援物資が余ってるらしい。
これも「別にわたしは困ってないしな」ってことでもらわなくてもいいんだけど、
でも余って捨てられるくらいだったらいただこう、と思う。
被災地は復旧すればいいし、少しでも被害を受けてるならドンマイなので、享受できるものは享受したらいい。
だけど実際に被災地の中にいると、被災度にかなりの格差があって、被災度が低い人間は低い人間で変なところで気を使ったりする。
面倒くさいものだな、心のつくり。
まとめ
色々書いたけど、別に病んでいるわけでもない。
積み重なっているのかよく分からない日々が、流れていくだけだ。
主体性が全くないわけでもない。
だけど「面倒くささ」が勝ってしまう。
挑戦したい、失敗したい、ないものねだりな感じ。