全般的に、生きるのが難しい

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正しいとされていることが、私にとっても正しいわけじゃない

科学でも

偉い人の言葉でも

身近な誰かの経験則でも

全部そう。

世界共通で「正しい」とされていること、たくさんある。

確かにその「正しい」ことには、根拠があるかもしれない。

多くの人にとっては「正しい」かもしれない。

強い人が「正しい」って言ってるんだから、「違うよ」と私一人が思ったって、何の意味もないかもしれない。

でも、多くの人にとって正しいことが、自分にとっても正しいとは限らない。

世の中の通説的には正しいことでも

自分の考え・性格・タイミングに照らし合わせると「全然違う」ってことは、たくさんある。

正しいとされていることを受け入れられなくても、

だからって「=自分がおかしい」「=自分がダメ」ではない。

自分にとって正しいのは自分だ。

年齢・経験・職種にかかわらず、だ。

自分にとって正しいのは自分。

大きいもの、強いものに恐れる必要はない。

自分の心の声を聞くことが大事だと信じている。

敵を作る必要はないのに、心の中の敵を増やしてしまう

疲れてくると、少しでも意見の違う人を見かけたときに「ムッ」としてしまう。

相手に悪気はないのに。

相手は敵ではないのに。

自分の心の状態が、仮想敵を作っている。

そんなの損でしかない。

自分が何に疲れてるのか、

何に引っかかってるのか、

相手の言葉の真意は何なのか、

そっちの方に目を向けよう。

「退屈」や「虚しさ」「不安」については昔の哲学者が散々考えて書籍にまとめてくれている

短時間労働で生活費をもらっている、現在の私の生き方。

時間は余る。

お金も(多少)余る。

絶対にやりたいことや、人生の目的みたいなことは特にない。

この状態は何に近いかというと、昔の貴族的な人たちに近い。

昔の貴族的な人たちが書いた「退屈」「虚しさ」に関する本はたくさんある。

私みたいな人は、昔の貴族的な人たちが書いた「退屈」「虚しさ」系の本を読んだらいいんだと思う。

「幸福論」系の本とも言える。

ちなみにわたしは今、トルストイさんの「光あるうちに光の中を歩め」を読んでいる。

退屈な人にとっての必読書だと思われる。

友達がいないと人生はかなり虚しい

シンプルだけど、友達がいないと(or友達としばらく会っていないと)人生はかなり虚しくなる。

お金とか、名誉とか、成功とか、美味しいものとか、

そういうものは確かに気持ちがいい。

だけど、なぜだか知らないが、人生に「気軽に付き合える友達」が不足すると、余裕でメンタルが崩れる。

この夏、全然友達と会ってないことに気づいた。

家族+αとしか関わってない。

みんないい人。

いい人だけど、友達じゃない。

なぜか知らないが、フリーランスとして活動する中で会う人は「先輩」か「知人」と感じるような人が多い。

たぶん、同じ境遇を享受してないから「友達」には認定されないんだと思う。

なぜか知らないが、同じ境遇(特に大変な境遇)を経験すると、友達感を感じる。

面倒なテストとか、拘束時間の長いバイトとか、理不尽な担任の悪口を言うとか。

そういう、なんとなくマイナスな境遇を共有すると友達感が強まる。

地元の友達とか、大学の友達がそれにあたる。

フリーランスは、みんな個人で仕事をしていて、なんだかよく分からない。

ネット上で生活してる人と関わってるみたいな気分。

特にわたしは人と積極的に関わる方ではないので、「クラス」とか「部署」とかがない環境だと、あまり人と関わらない→友達ができにくい んだと思う。

フリーランスは、収入を得る手段やクライアントさんが各々異なるからこそ、身近な人と変に人と比べたり、比べられたりすることが少ない。

その分、積極的に人と関わらないと、どんどん孤立する。

昔の友達に会いたい。大事にしたい。

新しい友達も欲しい。

純粋な友達って、どんな感じで作るんだっけ。

どういう感じで、本当に仲のいい友達が増えていったか、思い出せないかもしれない。

スピリチュアルなことを信じたいけど信じられない

ネットで検索すると、科学的根拠がないスピリチュアルな話、植物由来の食品、考え方、グッズ、考え方などが溢れてる。

そういうものが好きってわけじゃないけど、そういうものを信じてる人はみんな穏やかな感じがして、羨ましい。

だから真似したくなる。

でも、私はあまのじゃくだし、あまり素直ではないし、微妙に知能も高いと思うので、スピリチュアルに思想を寄せることが難しい。(スピリチュアル系にハマる人は知能が低めなことが多いらしい。)

見えないもの、根拠のないものを仲間と信じて、生活をよくするって、とても幸せなことだと思う。

それにすがるしかないとしても、心から信じられることがある時点で、幸せだと思う。

私が心から信じられるものってなんだろう。

何があれば癒されて、頑張れて、生活が良くなるんだろう。

個人の強みは「常に正直」でいられること

「自分」という肩書きしかないから、誰かに嘘をつく必要がない。

「個人的にはこれは良くない商品だけど、会社的には売らなきゃ」みたいなことがない。

クライアントさんに嘘をつかなきゃ仕事ができない状態になったら、お仕事を断ればいい。

「自分」という肩書きしかないから、嘘をつかなくていい。

これは、個人で生きることの一番の強みだと思ってる。

もちろん、組織に所属しながらも嘘をつかずに健全に働ける人もいるし、嘘をつくのが平気な人もいる。

性格や状況によるので、なんとも言えない。

ちなみに私は、組織に所属していると、だいたい「組織の考え」と「自分の考え」に開きを感じて、苦しくなる。

嘘をついて生活すると、すぐに破綻する。

だから、個人で生きるには無能だけど、組織に所属するのは難しい人間だ。

いいポジションが見つかっていない。

組織にがっつり所属して生きてる人は、すごいと思う。

私も、できるならそうしたい。

いろんな人の間で、調和しながら暮らしたい。

でも、やたら努力して「組織っぽさ」に馴染むことには魅力を感じない。

バランスを取れない人間だ。ああ、嫌になる。

ただの個人が「正直であること」に、社会的な価値はほぼ無い。

そう念じても、自分が納得してくれないので、やっぱり個人で、くそ正直にいるしかないのだけど。

もっと、正直度合いを高めるべきか。

それで、何が生まれるんだ?

色んなことの「目的」を確認しようと思いつつも、

目的なしに感じる「心の状態の何か」も大切にしたい。

ああ生きづらい、生きづらい…と

大変なフリして生きてる感じが、なんだか哀れだなぁと思う。

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ABOUTこの記事をかいた人

思想家 ななさま

【秋田生まれの思想家/詩人】2069年の世界からタイムスリップしてきました/綺麗だけど役立たないもの、本当のことを探してる/物書きしながら田舎暮らし中/社会の隙間で生きている/発達障害グレー/千葉大学卒/雲の上で暮らしたい/エスペラント語勉強中